たけのこ堂鍼灸院たけのこどうしんきゅういん
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せんねん灸セルフケアサポーター柴田 千恵
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- JR新検見川駅もしくは京成八千代台駅から京成バスに乗り、鉄工団地入口で下車し、徒歩10分
- 千葉県千葉市花見川区千種町143-17
- カテゴリー シニア/妊活/ビューティー/ランナー/肩こり/腰痛/ひざ痛/冷え/しびれ/目の疲れ/不眠/むくみ/不妊/美容
・お問い合わせ090-8727-3548
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☆自分本位を改めること
冷え取り健康法は「鍼灸治療」「靴下の重ね履き」「半身浴」「食べ過ぎを止める」ことだけだと思っている人が多いと思います。確かにこれを実行すると身体は「頭寒足熱」の状態になり、身体の自然治癒力は高まりますので、病気の元である冷え(毒)をたくさん排出することができます。これを続けていると様々な症状は徐々に軽くなり、そして消失していきます。
しかし、排毒している一方で、それ以上にたくさんの毒を自分自身が作り出してしまっているということも実際に起きています。自分で作る毒とは、ほとんどがストレスや感情の乱れなどによって溜まる毒、つまり「心の毒」です。「心の毒」が症状という目に見える形で出てくるときは、5000倍にもなると言われています。これでは鍼灸治療に通っても、半身浴を何時間行っても毒は出し切れないとう事態になってしまいます。
そうならないためには、できるだけ「心の毒」を溜めない生活を心がける必要があります。「心の毒」の根源を探っていくと、それは「自分本位」の思いに至ります。「自分本位」とは「自分の思い通りになって欲しい!」という「欲」のことです。
中国の「漢書」列伝には、出産を扱う「乳医」という職業が記されています。現代でいえば、女医・助産師に相当します。
その後、漢の時代には、インドの仏教経典から看護の精神が伝わり、唐の時代には、寺院に付属した仏教の救療慈善施設である「病坊」で、僧尼による看護が行われました。これは仏救看護の先駆けでした。
しかし、それ以降は、国家的な医書が編纂され、病院や診療施設がつくられ、仏教から儒教へと宗教も変わっていく中で、中国における古代崇拝、男尊女卑などの理由により、看護という職業は歴史上の表舞台に現れなくなります。
朝鮮の看護は、李朝時代、「医女」という制度がありました。医女とは、看護師、助産師、下級医師としての、東洋で初めての看護職です。このうち「内医女」は下級医師としての診断、調剤、施術(鍼灸)をしることができました。近年では。韓国ドラマなどでもたびたび内医女が登場し、日本でも知られるようになりました。
☆看護は仏教から生まれた☆
看護という言葉は、古くは初期仏教の経典『阿含経(あごんきょう)』に、釈迦が弟子たちの病床を見舞い、看護したのが始まりとされています。また、仏教の経典『梵網経(ぼんもうきょう)』には、多くの善行のうち、病者に対する看護が最大のものとされ、三世(過去・現在・未来)の苦悩を除くため、3つの仏(観世音菩薩・地蔵菩薩・薬師如来)を設定しています。そして、看護する者は薬師如来と同格とされ、人の命を助けた喜び・感激が仏教の説く、現世の浄土とされているのです。
そもそも「看」には、「みまもる」という意味の他に、臨終を「みとる」という意味もあります。そのため、「看護」は仏教用語「看病」より派生し、宗教と密接な関係を持って発展したと考えられます。
「病家須知」は、平野重誠(1790〜1867)により、1832(天保3)年に著された我が国発の家庭医学百科・家庭看護指導書です。その内容は、日々の養生の心得、病人看護の心得、食生活の指針、妊産婦のケア、助産法、小児療育の心得、当時の伝染病の考え方・処置対策、急病と怪我の救急法、終末ケアの心得から医師の選び方まで多岐に渡り、一般庶民向けに医学・衛生・保健知識を具体的にまとめたものです。
一方、西洋では1859年、クリミア戦争での体験からナイチンゲールが「看護覚え書」という書を著し、近代看護論の方向性を決定づけました。西洋の看護技術は戦争によって発展してきた歴史があり、ナイチンゲール方式を東洋でいち早く導入した明治政府も、度重なる戦争における看護の必要性があったからでした。
そのような西洋看護に比べ、「病家須知」は漢方理論に基づき、病気を未然に防ぐことを理想とした公衆衛生看護や精神的看護など、現代に通じる看護理論を記したものです。薬に頼りすぎず、医療をよく選び、日々の養生を大切に、看護の心と技を伝える「病家須知」は、ナイチンゲールの「看護覚え書」より26年も前に日本で書かれていました。
日本では、奈良時代に僧医看病僧が現れ、鎌倉時代には人間の苦しみを救済する救療施設が僧侶によって造られ、仏教看護が盛んになった。
日本最古の看護専門書と言われる「看病用心鈔」には「病人は看病人を仏と思い、看病人は病人を我が子と思い慈悲の心で看護にあたる」という心得が記されている。
江戸時代には、仏教より儒教の影響が強くなり、家族による肉親看護が行われた。1832年、漢方医家の平野重誠は、真心を尽くす儒教的精神を背景に「病家須知」(病人のいる家の心得)を著した。この書は明治時代以前における、我が国最高の看護書の1つとされ、看護についての重要性が書かれている。
「看病は、病人の飲食、寝起きの介抱と薬を服用させるだけでなく、大切なのは、第一に病の兆しを防ぐこと、第二に既に病があるならその原因を考え、速やかに名医の診察を受け、第三に病勢が進んで、気力が衰え飲食も減り、起居に介助が必要な病人には薬に頼ることはあるとしても、看待者の心得の良し悪しで予後に差が出る」と述べている。
「医者八分、看病七分」江戸時代の諺にもあるように、既にこの時代に看護の重要性と末期病人の精神看護にも注意を払っていた。
鍼灸院名
たけのこ堂鍼灸院
平成21年4月開業
せんねん灸セルフケアサポーター
柴田 千恵しばた ちえ
~ 学歴 ~
法政大学文学部史学科卒業
関東鍼灸専門学校卒業
東京衛生学園臨床教育専攻科卒業
~ 職歴 ~
三和銀行(現東京三菱UFJ)
ホンダプリモ京葉(経理課)
千葉スバル自動車(保険課)
関東鍼灸専門学校
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鍼灸院名 | たけのこ堂鍼灸院 (たけのこどうしんきゅういん) |
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住所 | 〒262-0012 千葉県千葉市花見川区千種町143-17 Google マップで見る |
アクセス | JR新検見川駅もしくは京成八千代台駅から京成バスに乗り、鉄工団地入口で下車し、徒歩10分 |
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